徳島県鳴門市大麻町板東字塚鼻126番地
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発心の道場
次の札所まで:1.2km / 徒歩 16分 / 車 2分
天平年間に聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられる。弘仁6年に空海がこの地で修法し、天竺の霊鷲山に似た景を感得して竺和山霊山寺と名付けたという。巡礼の出発点にあたり、応永年間建立の多宝塔に五智如来を安置する。(本尊:釈迦如来/宗派:高野山真言宗/通称:一番さん)
四国四県にまたがる八十八の札所をめぐる霊場である。弘法大師空海が四十二歳の厄年にあたる弘仁六年に開いたと伝えられるが、いつ誰が八十八と定めたのかは江戸のころから知られておらず、成立の時期も八十八という数の由来も、資料を欠いて定かでない。観音信仰で貫かれた西国三十三所と違い、四国は性格の異なる霊地の集まりである。本尊は観音や薬師が多くを占めるものの阿弥陀・地蔵・不動明王と多岐にわたり、宗派も真言宗のほかに天台宗・臨済宗・曹洞宗・時宗の寺を含む。これらを束ねるのが大師信仰で、宗派を問わずどの札所にも大師堂があり、巡拝者は本堂とあわせて拝む。阿波を発心、土佐を修行、伊予を菩提、讃岐を涅槃の道場と呼び、一番から順に打てば四国を右回りに一周する。全行程はおよそ千二百キロ、歩けば四十日を超える。焼山寺や横峰寺など遍路ころがしと呼ばれる難所を含み、第六十八番と第六十九番は一山門のうちに二霊場が並ぶ。道中で遍路を迎える接待の習わしが今も受け継がれ、四国遍路は平成二十七年に日本遺産となった。
徳島県鳴門市大麻町板東字塚鼻126番地
不明
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発心の道場
次の札所まで:1.2km / 徒歩 16分 / 車 2分
天平年間に聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられる。弘仁6年に空海がこの地で修法し、天竺の霊鷲山に似た景を感得して竺和山霊山寺と名付けたという。巡礼の出発点にあたり、応永年間建立の多宝塔に五智如来を安置する。(本尊:釈迦如来/宗派:高野山真言宗/通称:一番さん)
徳島県鳴門市大麻町桧字ダンノ上12番地
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発心の道場
次の札所まで:2.7km / 徒歩 38分 / 車 5分
奈良時代に行基が開いたと伝えられる。空海が阿弥陀経を修して感得し刻んだ本尊の光が鳴門の沖まで届き、漁民が本堂前に山を築いて遮ったという故事から日照山と号する。子授け・安産の信仰を集め、本尊の木造阿弥陀如来坐像は国の重要文化財である。(本尊:阿弥陀如来/宗派:高野山真言宗)
徳島県板野郡板野町大寺字亀山下66
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発心の道場
次の札所まで:4.9km / 徒歩 1時間12分 / 車 10分
天平年間に行基が開き金光明寺と称したと伝えられる。弘仁年間に空海が水に乏しい土地の人々のため井戸を掘ると霊水が湧き、寺号を金泉寺と改めたという。鎌倉時代には亀山法皇が滞在し、千体の千手観音を祀ったとも伝える。(本尊:釈迦如来/宗派:高野山真言宗)
徳島県板野郡板野町黒谷字居内28番地
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発心の道場
次の札所まで:1.8km / 徒歩 23分 / 車 3分
弘仁6年に空海が大日如来を感得し、一刀三礼して刻んだ像を本尊としたことに寺号が由来すると伝えられる。三方を山に囲まれた黒谷の地にちなみ黒巌山と号す。歴代の徳島藩主が修復を重ねた。境内は阿波遍路道の一部として国の史跡である。(本尊:大日如来/宗派:東寺真言宗/通称:黒谷寺)
徳島県板野郡板野町羅漢字林東5番地
不明
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発心の道場
次の札所まで:4.9km / 徒歩 1時間8分 / 車 10分
弘仁12年に嵯峨天皇の勅願により空海が勝軍地蔵菩薩を刻んで開いたと伝えられる。武将の信仰を集め、阿波・讃岐・伊予に三百の末寺を有したという。本堂ほか五棟が国の登録有形文化財、境内は阿波遍路道の一部として国の史跡である。(本尊:地蔵菩薩/宗派:真言宗御室派)
徳島県板野郡上板町引野字寺ノ西北8
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発心の道場
次の札所まで:1.1km / 徒歩 17分 / 車 2分
弘仁6年に空海が薬師如来を刻んで開いたと伝えられる。古くから温泉が湧いた土地であることに山号が由来する。蜂須賀家政が駅路寺と定めて遍路や旅人の宿泊と接待にあて、宿坊はこれ以来の歴史をもつ。方丈は国の登録有形文化財である。(本尊:薬師如来/宗派:高野山真言宗)
徳島県阿波市土成町高尾字法教田58
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発心の道場
次の札所まで:4.0km / 徒歩 59分 / 車 6分
大同年間にこの地へ留まった空海が阿弥陀如来を感得し、境内の楠に刻んで本尊としたのが始まりと伝えられる。人の八つの苦しみを離れ十の光明に輝く楽しみを得よとの願いから寺号を定めたという。中門は遍照殿と呼ばれ、上層に愛染明王を安置する。(本尊:阿弥陀如来)
徳島県阿波市土成町土成字前田185
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発心の道場
次の札所まで:2.3km / 徒歩 30分 / 車 5分
弘仁6年に閼伽ヶ谷で修行していた空海が熊野権現から金の観音像を授かり、霊木に刻んだ千手観音の胎内に納めて本尊としたと伝えられる。貞享4年建立の仁王門は四国霊場で最大級の山門で、大師堂や多宝塔とともに徳島県の指定文化財である。(本尊:千手観音/宗派:高野山真言宗)
徳島県阿波市土成町土成字田中198番地の2
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発心の道場
次の札所まで:4.2km / 徒歩 1時間5分 / 車 12分
弘仁6年に空海が白蛇を仏の使いと見て釈迦の涅槃像を彫り、寺を開いたと伝えられる。本尊は年に一度、2月15日に開帳される。住職が転法輪によって覚りを開いたことから正覚山法輪寺と改めたという。本堂には健脚を願う草鞋が数多く奉納されている。(本尊:釈迦如来/宗派:高野山真言宗/通称:田中法輪寺)
徳島県阿波市市場町切幡字観音129
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発心の道場
次の札所まで:10.4km / 徒歩 2時間23分 / 車 27分
機を織る娘が空海の求めに応じて織りかけの布を切って差し出し、得度と灌頂を受けて即身成仏したという故事に山号・院号・寺号が由来すると伝えられる。山腹の境内へは三百段を超える石段が続く。慶長12年に豊臣秀頼が大坂に建てた大塔は国の重要文化財である。(本尊:千手観音/宗派:高野山真言宗/通称:幡切り観音)
徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525
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発心の道場
次の札所まで:35.6km / 車 58分
弘仁6年に空海が薬師如来を刻んで堂宇を建て、堂前に五色の藤を植えたことから金剛山藤井寺と称したと伝えられる。延宝2年に南山国師が入山して再興し、その折に宗派を臨済宗へ改めた。本堂の天井には雲龍が描かれ、本尊は厄除け薬師として信仰を集めてきた。(本尊:薬師如来/宗派:臨済宗妙心寺派)
徳島県名西郡神山町下分字地中318
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発心の道場
次の札所まで:25.4km / 徒歩 5時間52分 / 車 40分
標高九百メートルを超える山の中腹に境内を構える山岳札所である。役行者が開いた山に空海が入り、火を吐く大蛇を岩窟に封じて虚空蔵菩薩を刻み、弘仁6年に一寺を建てたと伝えられる。樹齢数百年の杉が並び、藤井寺から至る遍路道は国の史跡である。(本尊:虚空蔵菩薩/宗派:高野山真言宗)
徳島県徳島市一宮町西丁263番地
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発心の道場
次の札所まで:2.5km / 徒歩 35分 / 車 7分
弘仁6年に空海が護摩修法中に大日如来を感得し、その姿を刻んで本尊としたことが寺号の由来と伝えられる。のちに阿波国一宮の別当寺となり一の宮寺とも呼ばれた。神仏分離により神社の本地仏であった十一面観音が本堂へ移されて本尊となっている。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗大覚寺派/通称:一の宮寺)
徳島県徳島市国府町延命606番地
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発心の道場
次の札所まで:0.9km / 徒歩 12分 / 車 4分
弘仁6年に空海が弥勒菩薩の来迎を感得し、傍らの霊木に刻んで開いたと伝えられる。八十八箇所で弥勒菩薩を本尊とするのはこの寺だけである。境内は結晶片岩の岩盤を削って造られ、流水岩の庭と呼ばれる。本堂と大師堂は国の登録有形文化財である。(本尊:弥勒菩薩/宗派:高野山真言宗)
徳島県徳島市国府町矢野718番地の1
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発心の道場
次の札所まで:1.7km / 徒歩 24分 / 車 5分
聖武天皇の詔により置かれた阿波国の国分寺で、行基が薬師如来を刻んで開いたと伝えられる。創建時は法相宗、弘仁年間に真言宗へ改まり、寛保元年に始まる復興の過程で曹洞宗となった。境内に七重塔の礎石が残り、枯山水の庭園は国の名勝である。(本尊:薬師如来/宗派:曹洞宗)
徳島県徳島市国府町観音寺49番地1
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発心の道場
次の札所まで:2.8km / 徒歩 39分 / 車 9分
聖武天皇が国分寺を建てさせた折、行基に命じて勅願道場として建てられたのが始まりと伝えられる。弘仁7年に空海が千手観音を刻んで本尊とし、不動明王と毘沙門天を脇侍に安置して再興したという。遍路道に面して建つ和様重層の鐘楼門が昔の面影をとどめる。(本尊:千手観音/宗派:高野山真言宗)
徳島県徳島市国府町井戸字北屋敷80-1
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発心の道場
次の札所まで:17.7km / 徒歩 4時間8分 / 車 37分
白鳳2年に天武天皇の勅願によって建てられ、妙照寺と号したと伝えられる。空海が濁り水に悩む村人を憐れみ錫杖で掘ると一夜にして清水が湧き、寺号を井戸寺に改めたという。空海の作と伝える十一面観音像は国の重要文化財である。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗善通寺派)
徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40
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発心の道場
次の札所まで:4.5km / 徒歩 1時間1分 / 車 10分
聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられる。もとは女性の入山を許さない寺で、空海が滝に打たれて七日間の秘法を修し、解禁を成就して母の玉依御前を迎えたという。母が剃髪して髪を納めたことから母養山恩山寺と改めたと伝える。(本尊:薬師如来/宗派:高野山真言宗)
徳島県小松島市立江町字若松13
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発心の道場
次の札所まで:15.0km / 徒歩 3時間51分 / 車 30分
天平19年に行基が光明皇后の安産を祈って刻んだ一寸八分の子安地蔵に始まると伝えられる。弘仁6年に空海が等身大の延命地蔵を刻み、その胎内にもとの本尊を納めて寺号を定めたという。阿波の関所寺として知られる別格本山である。(本尊:地蔵菩薩/宗派:高野山真言宗)
徳島県勝浦郡勝浦町大字生名字鷲ケ尾14
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発心の道場
次の札所まで:8.6km / 徒歩 1時間57分 / 車 14分
延暦17年に桓武天皇の勅願により空海が開いたと伝えられる。雌雄二羽の白鶴が守っていた金の地蔵像を、空海が刻んだ像の胎内に納めて本尊とし、寺名を鶴林寺としたという。標高四百七十メートルの山頂近くにあり、遍路道沿いに室町時代の丁石が残る。(本尊:地蔵菩薩/宗派:高野山真言宗/通称:お鶴さん)
徳島県阿南市加茂町龍山2番地
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発心の道場
次の札所まで:16.3km / 徒歩 3時間39分 / 車 25分
延暦12年に桓武天皇の勅願によって堂塔が建てられ、空海が虚空蔵菩薩を刻んで開いたと伝えられる。十九歳の空海が舎心嶽で百日の虚空蔵求聞持法を修めたことは『三教指帰』に記される。標高六百メートルを超える山上にあり、仁王門は鎌倉時代の建立である。(本尊:虚空蔵菩薩/宗派:高野山真言宗/通称:西の高野)
徳島県阿南市新野町秋山177番地
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発心の道場
次の札所まで:20.3km / 徒歩 4時間34分 / 車 21分
弘仁5年に空海が薬師如来を感得し、あらゆる人の心と身体の病を平等に癒す誓願を立てたことが寺号の由来と伝えられる。加持水を求めて掘ると乳のような白い水が湧いたことから白水山と号したという。その井戸はいまも枯れず弘法の霊水と呼ばれる。(本尊:薬師如来/宗派:高野山真言宗)
徳島県海部郡美波町奥河内字寺前285-1
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発心の道場
次の札所まで:74.9km / 徒歩 17時間2分 / 車 1時間28分
神亀3年に聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられる。四十二歳の空海が厄除薬師如来坐像を刻み、厄除けの根本祈願寺としたという。女厄坂・男厄坂・還暦厄坂の石段を一段ごとに賽銭をあげて登る。本尊は後ろ向き薬師と呼ばれる秘仏である。(本尊:薬師如来/宗派:高野山真言宗)
高知県室戸市室戸岬町4058番地1
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修行の道場
次の札所まで:6.6km / 徒歩 1時間30分 / 車 11分
十九歳の空海が室戸岬に近い洞窟で虚空蔵求聞持法に励んだことは『三教指帰』に記される。大同2年に成就の地へ本尊を刻んで開いたと伝えられる。足利尊氏により土佐の安国寺とされた。室戸岬をはさみ、西の金剛頂寺に対して東寺と呼ばれる。(本尊:虚空蔵菩薩/宗派:真言宗豊山派/通称:東寺)
高知県室戸市室津2652番地イ
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修行の道場
次の札所まで:3.8km / 徒歩 1時間1分 / 車 12分
大同2年に空海が山の形を地蔵菩薩の宝珠に見立てて延命地蔵を刻み、開いたと伝えられる。室津港を見下ろす小山にあり、本堂へ急な石段が続く。暴風雨に遭った山内一豊の船を導いた僧が本尊であったという故事から、楫取地蔵と呼ばれる。(本尊:地蔵菩薩/宗派:真言宗豊山派/通称:津寺)
高知県室戸市元乙523番地
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修行の道場
次の札所まで:30.6km / 徒歩 7時間18分 / 車 47分
大同2年に空海が平城天皇の勅願により薬師如来を刻んで創建したと伝えられる。嵯峨天皇が勅額を下賜したことから寺名が改まったという。椎の原始林に覆われた行当岬の頂に堂宇が建つ。霊宝殿に板彫真言八祖像など国の重要文化財を納める。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗豊山派/通称:西寺)
高知県安芸郡安田町大字唐浜2594番地
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修行の道場
次の札所まで:37.4km / 徒歩 8時間36分 / 車 53分
天平2年に聖武天皇の勅を受けた行基が十一面観音を刻み、神仏を合わせ祀って開いたと伝えられる。神仏分離により廃寺となって本尊と札所は金剛頂寺に預けられたが、明治20年に再興された。岩崎弥太郎の母が子の開運を祈って通った話が伝わる。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗豊山派)
高知県香南市野市町母代寺476番イ地
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修行の道場
次の札所まで:8.8km / 徒歩 2時間3分 / 車 22分
天平年間に聖武天皇の勅願により行基が大日如来を刻んで開いたと伝えられる。荒廃したのち空海が楠の大木に爪で薬師如来を彫って復興したといい、この霊木は爪彫り薬師と呼ばれ奥の院にあたる。本尊の木造大日如来坐像は国の重要文化財である。(本尊:大日如来/宗派:真言宗智山派)
高知県南国市国分546番地
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修行の道場
次の札所まで:6.9km / 徒歩 1時間36分 / 車 14分
聖武天皇の詔により置かれた土佐の国分寺で、天平13年に行基が千手観音を刻んで開いたと伝えられる。空海が星供の秘法を修めて以来、星供の根本道場と称される。金堂は長宗我部父子の再建で国の重要文化財、境内は全域が国の史跡である。(本尊:千手観音/宗派:真言宗智山派/通称:土佐国分寺)
高知県高知市一宮しなね2丁目23-11
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修行の道場
次の札所まで:6.7km / 徒歩 1時間35分 / 車 24分
大同年間に空海が土佐国一宮の別当寺として開いたと伝えられる。神仏分離により廃寺となり札所は国分寺へ預けられ、のちに安楽寺と札所が二箇所並び立つ状態が長く続いた。平成6年の協議で札所が定まり、安楽寺は奥の院となった。(本尊:阿弥陀如来/宗派:真言宗豊山派)
高知県高知市五台山3577番地
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修行の道場
次の札所まで:5.4km / 徒歩 1時間17分 / 車 13分
神亀元年に聖武天皇が唐の五台山で文殊菩薩を拝する夢を見て、行基に似た山容の霊地を捜させ、文殊菩薩を刻んで開かせたと伝えられる。土佐藩主の帰依を受け、学僧の集まる南海第一道場と称された。本堂は国の重要文化財、庭園は国の名勝である。(本尊:文殊菩薩/宗派:真言宗智山派)
高知県南国市十市3084番地
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修行の道場
次の札所まで:7.9km / 徒歩 1時間48分 / 車 18分
行基が土佐沖を行く船の安全を願って堂宇を建てたのを起源とし、空海が奇岩の並ぶこの地を霊域と感得して十一面観音を刻んだと伝えられる。本尊は船魂の観音と呼ばれ、歴代藩主も出航の無事を祈った。仁王門の金剛力士像二躯は国の重要文化財である。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗豊山派/通称:峰寺)
高知県高知市長浜857-3
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修行の道場
次の札所まで:6.5km / 徒歩 1時間31分 / 車 14分
弘仁6年に空海が開き、当初は真言宗の高福寺と称したと伝えられる。天正年間に月峰和尚が長宗我部元親の後援を得て臨済宗の寺として復興し、元親の法号にちなんで雪蹊寺と改めた。運慶・湛慶の作と伝える国の重要文化財十六躯を蔵する。(本尊:薬師如来/宗派:臨済宗妙心寺派)
高知県高知市春野町秋山72、73番地
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修行の道場
次の札所まで:9.5km / 徒歩 2時間18分 / 車 23分
土佐沖で暴風雨に遭った百済の仏師らが海上の安全を祈って刻んだ薬師如来に始まると伝えられる。弘仁年間に空海が堂宇を建て、唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことが寺号の由来という。本尊は安産の薬師さんと呼ばれ、国の重要文化財である。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗豊山派)
高知県土佐市高岡町丁568番イ号地
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修行の道場
次の札所まで:13.5km / 徒歩 3時間5分 / 車 24分
養老7年に行基が薬師如来を刻んで開いたと伝えられる。弘仁年間に空海が岩上に壇を築いて修法し、満願の日に金剛杖で突くと清水が湧いて鏡のような池になったことから、山号・院号・寺名を改めたという。本尊は平安時代後期の作で国の重要文化財である。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗豊山派)
高知県土佐市宇佐町竜字旧寺山601番地
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修行の道場
次の札所まで:55.8km / 徒歩 12時間45分 / 車 1時間1分
空海が唐の青龍寺で恵果和尚から秘法を授かった恩に報いるため東の空へ投げた独鈷杵が、この地の老松にあると感得し、弘仁6年に堂宇を建てたと伝えられる。寺名は恩師の寺、山号は独鈷に由来する。本尊は波切不動明王と呼ばれ航海の安全を祈られてきた。(本尊:不動明王/宗派:真言宗豊山派)
高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
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修行の道場
次の札所まで:84.0km / 徒歩 18時間55分 / 車 1時間42分
天平年間に行基が建てた福圓満寺を前身と伝えられる。空海が仁井田明神の神体を五社に分け、不動明王・観音・阿弥陀・薬師・地蔵を本地仏として安置したことから五尊を本尊とする。本堂内陣の格天井には公募した575枚の絵が納まる。(本尊:不動明王・観音菩薩・阿弥陀如来・薬師如来・地蔵菩薩/宗派:真言宗智山派)
高知県土佐清水市足摺岬214番地の1
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修行の道場
次の札所まで:52.7km / 徒歩 11時間57分 / 車 1時間13分
弘仁13年に空海が嵯峨天皇から補陀洛東門の勅額を受け、三面千手観音を刻んで開いたと伝えられる。修行を妨げる魔物が蹉跎したことから山号を蹉跎山に改めたという。歴代天皇の祈願所とされ、足摺岬を見下ろす丘の中腹に広い境内が開ける。(本尊:千手観音/宗派:真言宗豊山派)
高知県宿毛市平田町中山390番地イ
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修行の道場
次の札所まで:27.0km / 徒歩 6時間7分 / 車 36分
神亀元年に聖武天皇の勅命を受けた行基が薬師如来を刻んで開いたと伝えられる。竜宮の赤い亀が背に梵鐘を負って来たという伝説にちなみ、赤亀山延光寺と改めたという。延喜11年の銘をもつ小型の梵鐘は、平安時代前期の紀年銘鐘として国の重要文化財である。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗智山派)
愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253番地1
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菩提の道場
次の札所まで:49.9km / 徒歩 11時間28分 / 車 54分
大同2年に空海が平城天皇の勅命を受け、一本の霊木から薬師如来と脇侍の三尊を彫って開いたと伝えられる。残った霊木で舟形の宝判を造ったという。霊山寺からもっとも遠く、四国霊場の裏関所とも呼ばれる。宇和島藩主伊達家の祈願所として復興した。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗大覚寺派)
愛媛県宇和島市三間町戸雁173番地
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菩提の道場
次の札所まで:3.6km / 徒歩 50分 / 車 5分
大同二年(八〇七)、空海が稲束を負う白髪の老人に出会い、五穀大明神の化身と悟って稲荷明神を勧請し、本地仏の十一面観音を刻んだのが始まりと伝えられる。山門は鳥居、参道には仁王に代わって狛犬が立ち、神仏習合の面影を色濃く残す。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗御室派/通称:三間のお稲荷さん)
愛媛県宇和島市三間町則1683番地
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菩提の道場
次の札所まで:16.9km / 徒歩 4時間 / 車 20分
大同二年(八〇七)、空海が牛を引く老人に誘われて進むと、楠の梢に唐から投げた宝珠が光っていたので霊地と感得し、その楠で大日如来を刻んで本尊としたと伝えられる。以来、牛馬安全の守り仏として信仰を集め、家畜堂には牛馬の草鞋や陶磁器が奉納されている。(本尊:大日如来/宗派:真言宗御室派/通称:大日さま)
愛媛県西予市宇和町明石205番地
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菩提の道場
次の札所まで:75.4km / 徒歩 17時間32分 / 車 1時間24分
源光山円手院と号し、八十八箇所では数少ない天台系の札所である。六世紀に欽明天皇の勅願で円手院正澄が渡来の千手観音を祀って開いたと伝えられ、天平年間には寿元行者が熊野十二社権現を勧請して修験の道場とした。のち源頼朝が阿弥陀堂を建て、山号を改めたと伝える。(本尊:千手観音/宗派:天台寺門宗)
愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2番耕地1173番地の2
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菩提の道場
次の札所まで:10.9km / 徒歩 2時間27分 / 車 14分
菅生山大覚院と号し、八十八箇所のちょうど半ばにあたることから中札所と呼ばれる。大宝元年(七〇一)、狩人の兄弟が菅草のなかに十一面観音像を見つけて草庵を結んだのが始まりと伝えられ、元号にちなんで大寶寺と号したという。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗豊山派/通称:中札所)
愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468番地
不明
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菩提の道場
次の札所まで:25.7km / 徒歩 6時間15分 / 車 43分
標高約七百メートルの巨岩の中腹に堂宇が埋め込まれるように建つ山岳霊場である。弘仁六年(八一五)、空海が岩窟に籠る法華仙人に出会い、仙人が全山を献じたと伝えられる。空海は木と石の不動明王を刻み、岩山を本尊としたという。大師堂は国の重要文化財、寺域は国の名勝である。(本尊:不動明王/宗派:真言宗豊山派)
愛媛県松山市浄瑠璃町282番地
不明
不明
菩提の道場
次の札所まで:0.85km / 徒歩 12分 / 車 3分
医王山養珠院と号し、松山市内の八箇寺のうち最初に打つ霊場である。和銅元年(七〇八)に行基が白檀で薬師如来を刻み、脇侍と十二神将をあわせて安置したのが始まりと伝えられる。正徳の山火事で堂宇を失ったが、天明年間に住職堯音が諸国を托鉢して再興した。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗豊山派)
愛媛県松山市浄瑠璃町773番地
不明
不明
菩提の道場
次の札所まで:4.2km / 徒歩 57分 / 車 8分
熊野山妙見院と号し、山の中腹にある。大宝元年(七〇一)、伊予国司越智玉興が文武天皇の勅願で堂塔を建て、役行者を開基としたと伝えられる。八箇所の坂道を切り開いたことが寺名の由来という。のちに熊野権現を勧請して修験道の根本道場となり、熊野八坂寺とも呼ばれた。(本尊:阿弥陀如来/宗派:真言宗醍醐派)
愛媛県松山市高井町1007番地
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菩提の道場
次の札所まで:2.9km / 徒歩 42分 / 車 7分
清滝山安養院と号する。天平十三年(七四一)、聖武天皇の勅願を受けた行基が伊予国司とともに一宮の別当として堂宇を建て、十一面観音を刻んで開いたと伝えられる。旱魃の村で空海が錫杖を突いて水脈を見つけたと伝える杖の淵は、全国名水百選に選ばれている。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗豊山派)
愛媛県松山市鷹子町1198番地
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菩提の道場
次の札所まで:2.0km / 徒歩 29分 / 車 6分
西林山三蔵院と号する。天平勝宝年間に恵明上人が孝謙天皇の勅願寺として開き、行基が刻んだという釈迦如来を本尊に祀ったと伝えられる。平安中期には空也上人が三年のあいだ留まって村人の教化に努めたといい、口から六体の阿弥陀を吐く木造空也上人立像は国の重要文化財である。(本尊:釈迦如来/宗派:真言宗豊山派)
愛媛県松山市畑寺町32番地
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菩提の道場
次の札所まで:2.5km / 徒歩 36分 / 車 6分
東山瑠璃光院と号し、松山城や瀬戸内海まで一望する高台にある。天平勝宝年間に行基が薬師如来を刻んで開き、当初は光明寺と号したと伝えられる。弘仁年間に空海が留まって東山繁多寺と改めたという。江戸時代には徳川家の帰依を受けて将軍家綱の念持仏の歓喜天を祀った。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗豊山派)
愛媛県松山市石手2丁目9番21号
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菩提の道場
次の札所まで:10.7km / 徒歩 2時間29分 / 車 25分
熊野山虚空蔵院と号し、道後温泉に近い。神亀五年(七二八)に越智玉純が熊野十二社権現を祀って道場を建て、翌年に行基が薬師如来を刻んで開いたと伝えられる。寺名は衛門三郎再来の説話に由来するという。文保二年建立の二王門は国宝、本堂や三重塔は国の重要文化財である。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗豊山派)
愛媛県松山市太山寺町1730番地
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菩提の道場
次の札所まで:2.6km / 徒歩 34分 / 車 6分
護持院と号する。用明二年(五八七)、高浜の沖で嵐に遭った豊後の真野長者が観音に念じて助かり、報恩のため一夜のうちに本堂を建て上げたと伝えられる。のち行基が十一面観音を刻んで本尊とした。嘉元三年に河野氏が再建した本堂は国宝、二王門は国の重要文化財である。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗智山派)
愛媛県松山市和気町1丁目182番地
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菩提の道場
次の札所まで:33.9km / 徒歩 7時間47分 / 車 49分
須賀山正智院と号する。天平勝宝元年(七四九)に行基が阿弥陀如来と両脇侍を刻んで開いたと伝えられる。元和年間に現在地へ移り、須賀重久が再興した。本尊の厨子に打たれた慶安三年銘の銅板納札は、破損のない納札として現存最古で、市の指定民俗文化財である。(本尊:阿弥陀如来/宗派:真言宗智山派)
愛媛県今治市阿方甲636番地
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菩提の道場
次の札所まで:3.6km / 徒歩 49分 / 車 8分
今治の近見山の麓にあり、宝鐘院と号する。養老四年(七二〇)に行基が不動明王を刻んで開いたと伝えられる。もと不動院圓明寺と号したが、松山の圓明寺と取り違えられることが多く、明治維新のさいに延命寺に改めた。本尊は度重なる火災を免れたことから火伏せ不動尊と呼ばれる。(本尊:不動明王/宗派:真言宗豊山派)
愛媛県今治市別宮町3丁目1番地
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菩提の道場
次の札所まで:3.0km / 徒歩 44分 / 車 9分
別宮山金剛院と号し、八十八箇所のうち坊のつく寺院は当寺だけである。大宝三年(七〇三)、越智玉澄が大三島の大山祇神社を当地へ勧請し、その別当として開かれたと伝えられる。明治の廃仏毀釈で別宮大山祇神社と分離し、社殿にあった本地仏の大通智勝如来を薬師堂へ遷した。(本尊:大通智勝如来/宗派:真言宗御室派)
愛媛県今治市小泉1丁目9番18号
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菩提の道場
次の札所まで:3.1km / 徒歩 45分 / 車 8分
金輪山勅王院と号する。弘仁六年(八一五)、氾濫をくり返して人取川と呼ばれた蒼社川を前に、空海が村人とともに堤を築き、土砂加持の秘法を修したところ延命地蔵菩薩を感得したと伝えられる。空海はその地蔵を刻んで本尊とし、堂を建てて泰山寺と名づけたという。(本尊:地蔵菩薩/宗派:真言宗単立)
愛媛県今治市玉川町八幡200番地
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菩提の道場
次の札所まで:2.9km / 徒歩 51分 / 車 7分
府頭山無量寿院と号する。弘仁年間、空海が海難の平穏を祈って山頂で護摩を修し、満願の日に海上へ現れた阿弥陀如来を本尊として堂を建てたのが創建と伝えられる。のちに八幡明神を勧請し、勝岡八幡宮が営まれた。明治の神仏分離で神社と分かれ、寺は山の中腹へ移った。(本尊:阿弥陀如来/宗派:高野山真言宗)
愛媛県今治市玉川町別所字作礼山甲483番地
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菩提の道場
次の札所まで:7.1km / 徒歩 1時間36分 / 車 13分
作礼山千光院と号し、標高約三百メートルの山頂近くから瀬戸内海の島々を望む。天智天皇の勅願で越智守興が堂宇を建て、千手観音は海から現れた竜女が一刀三礼して刻んだと伝えられる。寺名は忽然と姿を消したという阿坊仙人にちなむ。空海が掘ったと伝えるお加持の井戸が残る。(本尊:千手観音/宗派:高野山真言宗)
愛媛県今治市国分4丁目1番33号
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菩提の道場
次の札所まで:29.4km / 徒歩 7時間31分 / 車 48分
今治に置かれた伊予国分寺の法灯を継ぐ寺で、金光山最勝院と号する。天平十三年(七四一)に行基が薬師如来を刻んで開いたと伝えられ、『続日本紀』には天平勝宝八歳に伊予の国分寺へ仏具を下賜した記事がある。東の旧地に残る礎石は、伊予国分寺塔跡として国の史跡である。(本尊:薬師如来/宗派:真言律宗)
愛媛県西条市小松町石鎚2253番地
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菩提の道場
次の札所まで:13.2km / 徒歩 3時間8分 / 車 28分
石鈇山福智院と号し、石鎚山系北側の標高約七百五十メートルにある。白雉二年(六五一)、役行者が星ヶ森で蔵王権現を感得し、石楠花に刻んで祀ったのが創建という。石鎚信仰の別当寺として栄えたが明治に廃寺となり、のち復興した。林道が通じるまでは遍路ころがしの難所であった。(本尊:大日如来/宗派:真言宗御室派)
愛媛県西条市小松町南川甲19番地
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菩提の道場
次の札所まで:1.5km / 徒歩 21分 / 車 4分
栴檀山教王院と号する。六世紀後半、用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が建てたと伝えられる。大同年間には空海が門前で産に苦しむ婦人のために栴檀の香を焚いて加持し、無事な出産を機に安産と子育てを祈る護摩を修して霊場と定めたという。境内には鉄筋コンクリート造の大聖堂が建つ。(本尊:大日如来)
愛媛県西条市小松町新屋敷甲428番地
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菩提の道場
次の札所まで:1.4km / 徒歩 19分 / 車 3分
天養山観音院と号する。天平年間に伊予の一の宮の別当寺として道慈律師が創建し、当初は金剛宝寺と称したと伝えられる。大同年間に空海が光明皇后の姿をかたどった十一面観音を彫って本尊とし、宝寿寺と改めたという。空海が霊水で難産を救ったと伝え、安産の観音として信仰された。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗単立)
愛媛県西条市氷見乙1048番地
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菩提の道場
次の札所まで:3.2km / 徒歩 44分 / 車 5分
密教山胎蔵院と号し、八十八箇所のうち毘沙門天を本尊とする札所は当寺だけである。弘仁年間、空海が光を放つ檜に霊気を感得し、その霊木で毘沙門天と脇侍を彫り、貧苦からの救済を祈って堂宇を建てたのが開創と伝えられる。高麗焼のマリア観音像や鎌倉時代の十二天屏風を蔵する。(本尊:毘沙門天/宗派:真言宗東寺派)
愛媛県西条市洲之内甲1426番地
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菩提の道場
次の札所まで:44.8km / 徒歩 10時間35分 / 車 50分
石鈇山金色院と号し、真言宗石鈇派の総本山で修験道の根本道場でもある。石鎚山の麓にあり、役行者が石鎚山で修行の末に大権現を感得し、その尊像を祀ったのが始まりと伝えられる。桓武天皇の病気平癒により勅願寺となったという。江戸時代には西条藩松平家の祈願所となった。(本尊:阿弥陀如来/宗派:真言宗石鈇派)
愛媛県四国中央市金田町三角寺甲75番地
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菩提の道場
次の札所まで:27.7km / 徒歩 6時間51分 / 車 47分
由霊山慈尊院と号し、伊予最後の霊場にあたる。平石山の中腹にある。天平年間に行基が開き、弘仁六年(八一五)に空海が十一面観音を彫って安置したと伝えられる。空海が三角の護摩壇を築いて降伏護摩を修したという跡が三角の池に残り、寺名の由来になっている。(本尊:十一面観音/宗派:高野山真言宗)
徳島県三好市池田町白地ノロウチ763番地
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涅槃の道場
次の札所まで:22.4km / 徒歩 4時間53分 / 車 41分
巨鼇山千手院と号し、標高九百十一メートルと八十八箇所でもっとも高い地にある。所在は徳島県三好市である。延暦八年(七八九)、若き空海が善通寺の建材を求めて登り、霊山に堂宇を建てたのが創建と伝えられる。のちに四国高野と呼ばれ、僧の学問と修行の場となった。(本尊:千手観音/宗派:真言宗御室派)
香川県三豊市山本町辻4209番地
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涅槃の道場
次の札所まで:8.4km / 徒歩 1時間54分 / 車 16分
小松尾山不動光院と号する。熊野三所権現の鎮護のため東大寺の末寺として建てられたのが始まりと伝えられる。往時は真言と天台の二宗が同じ境内で兼学した珍しい来歴をもち、本堂の左右に弘法大師堂と天台大師堂が並ぶ配置にその名残がある。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗善通寺派/通称:小松尾寺)
香川県観音寺市八幡町一丁目2-7
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涅槃の道場
次の札所まで:0.083km / 徒歩 1分 / 車 1分
大宝三年(七〇三)、日証上人が海上に神船と琴を見つけて琴弾山へ引き上げ、琴弾八幡宮を建てたさいの神宮寺が起源と伝えられる。のちに空海が八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊としたという。明治の神仏分離で八幡宮から分かれ、麓の観音寺境内へ移った。(本尊:阿弥陀如来/宗派:真言宗大覚寺派)
香川県観音寺市八幡町一丁目2-7
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涅槃の道場
次の札所まで:4.5km / 徒歩 1時間1分 / 車 9分
七宝山と号する。大同二年(八〇七)に空海が第七世の住職として入り、奈良の興福寺に倣って中金堂・東金堂・西金堂からなる伽藍を建て、聖観音を彫って安置したと伝えられる。地鎮に七宝を埋めたことが寺名の由来という。本堂は室町時代の建築で国の重要文化財である。(本尊:聖観音/宗派:真言宗大覚寺派)
香川県三豊市豊中町本山甲1445番地
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涅槃の道場
次の札所まで:11.7km / 徒歩 2時間51分 / 車 22分
七宝山持宝院と号し、八十八箇所で馬頭観音を本尊とするのは当寺だけである。大同二年に平城天皇の勅願で空海が開き、当初は長福寺と称したと伝えられる。天正の兵火では脇仏の阿弥陀如来が本堂を守ったといい、太刀受けの弥陀と呼ばれる。正安二年建立の本堂は国宝である。(本尊:馬頭観音/宗派:高野山真言宗)
香川県三豊市三野町大見乙70番地
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涅槃の道場
次の札所まで:4.8km / 徒歩 1時間7分 / 車 10分
剣五山千手院と号し、仁王門から長い石段を登った岩山の中に本堂が建つ。天平年間に行基が開いたと伝えられる。空海は少年のころ境内の獅子之岩屋で学問に励み、帰朝後ふたたび訪れて千手観音を安置し、寺名を改めたという。修験者の刻んだ摩崖仏が点在する。(本尊:千手観音/宗派:真言宗善通寺派)
香川県善通寺市吉原町1380-1
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涅槃の道場
次の札所まで:0.30km / 徒歩 6分 / 車 1分
我拝師山延命院と号する。推古四年(五九六)に讃岐の領主佐伯家の氏寺として建てられ、四国霊場でもっとも古い創建と伝える。空海が唐の青龍寺に倣って伽藍を整え、両界曼荼羅を安置して寺名を改めたと伝える。西行法師が通ったと伝え、本堂前に昼寝石が残る。(本尊:大日如来/宗派:真言宗善通寺派)
香川県善通寺市吉原町1091
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涅槃の道場
次の札所まで:2.5km / 徒歩 33分 / 車 7分
我拝師山求聞持院と号する。七歳の空海が我拝師山の断崖から身を投じたところ、釈迦如来と天女が現れて抱きとめたという捨身ヶ嶽の伝説にゆかりをもつ。空海はのちに山頂へ釈迦如来を刻んで堂を建てたと伝えられる。捨身ヶ嶽禅定はいまは奥の院で、境内に遙拝所が設けられている。(本尊:釈迦如来/宗派:真言宗御室派)
香川県善通寺市弘田町1765-1
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涅槃の道場
次の札所まで:1.6km / 徒歩 22分 / 車 5分
医王山多宝院と号する。空海が伽藍の地を求めて甲山を歩いていると、岩窟から現れた老人が寺を建てれば守護すると告げたので、毘沙門天を刻んで岩窟に祀ったのが始まりと伝えられる。のちに満濃池の修築を命じられた空海はこの岩窟で成就を祈り、薬師如来を刻んで本尊とした。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗善通寺派)
香川県善通寺市善通寺町3丁目3番1号
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涅槃の道場
次の札所まで:3.4km / 徒歩 47分 / 車 7分
五岳山誕生院と号する真言宗善通寺派の総本山で、空海の誕生の地として弘法大師三大霊跡の一つに数えられる。唐から帰った空海が父の寄進した地に青龍寺を模して建て、父の諱をとって善通寺と号したと伝えられる。境内は金堂と五重塔の東院、御影堂の西院に分かれる。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗善通寺派)
香川県善通寺市金蔵寺町1160番地
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涅槃の道場
次の札所まで:3.8km / 徒歩 53分 / 車 8分
鶏足山宝幢院と号し、天台寺門宗の開祖である智証大師円珍の誕生の地である。宝亀五年に円珍の祖父和気道善が建てた自在王堂に始まると伝えられ、のちに円珍が伽藍を造営し、薬師如来を刻んで本尊としたという。円珍に仏道を勧めたという天女を訶利帝母と伝え、訶利帝堂が建つ。(本尊:薬師如来/宗派:天台寺門宗)
香川県仲多度郡多度津町北鴨一丁目5-42
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涅槃の道場
次の札所まで:7.2km / 徒歩 1時間40分 / 車 16分
桑多山明王院と号する。領主和気道隆が夜ごと光を放つ桑の大木を射たところ乳母を死なせ、その桑で薬師如来を彫って草堂を建てたのが始まりと伝えられる。子の朝祐の懇願により、空海は道隆の像を胎内に納めた薬師如来を彫って本尊とした。寺名は道隆の名による。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗醍醐派)
香川県綾歌郡宇多津町1435番地
不明
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涅槃の道場
次の札所まで:6.0km / 徒歩 1時間25分 / 車 12分
仏光山広徳院と号し、八十八箇所で時宗の寺院は当寺だけである。神亀二年に行基が開き、道場寺と称したと伝えられる。のち空海が自らの像を彫って厄除けを誓願したという。正応元年には一遍上人が逗留して踊り念仏を広め、真言と時宗の法門が伝わることとなった。(本尊:阿弥陀如来/宗派:時宗/通称:厄除うたづ大師)
香川県坂出市西庄町1713-2
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涅槃の道場
次の札所まで:6.8km / 徒歩 1時間34分 / 車 13分
金華山高照院と号し、天皇寺の名で知られる。天平年間に行基が開いた金山摩尼珠院に始まると伝えられる。讃岐へ配流された崇徳天皇の永代別当職となり、崩御ののち境内に崇徳天皇社が営まれて天皇寺と呼ばれたという。境内には朱色の三輪鳥居が立ち、正面に白峰宮が建つ。(本尊:十一面観音/宗派:真言宗御室派)
香川県高松市国分寺町国分2065番地
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涅槃の道場
次の札所まで:12.8km / 徒歩 3時間7分 / 車 22分
高松に置かれた讃岐国分寺の法灯を継ぐ寺で、白牛山千手院と号する。天平十三年(七四一)に行基が開いたと伝えられる。境内には創建時の金堂と七重塔の礎石が残る。旧境内の全域は四国で唯一の国の特別史跡である。鎌倉時代の本堂は国の重要文化財で、四国最古と伝える梵鐘も残る。(本尊:千手観音/宗派:真言宗御室派)
香川県坂出市青海町2635番地
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涅槃の道場
次の札所まで:8.2km / 車 13分
綾松山洞林院と号し、五色台の白峯山にある。弘仁六年に空海が山頂へ如意宝珠を埋めたのが始まりと伝えられ、のちに智証大師が霊木で千手観音を刻んで堂を建てたという。崩御した崇徳上皇はこの山で荼毘に付され、御陵が営まれた。上皇の霊を祀る頓証寺殿は松平頼重の造営による。(本尊:千手観音/宗派:真言宗御室派)
香川県高松市中山町1506
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涅槃の道場
次の札所まで:13.8km / 徒歩 3時間10分 / 車 30分
青峰山千手院と号し、五色台の主峰である青峰山にある。空海が五つの峰に五智如来を感得して花蔵院を建て、のち智証大師が蓮華谷の霊木で千手観音を刻んで千手院を建てたと伝えられる。切り株が香を放ち続けたことが寺名の由来という。牛鬼を退治したという伝説が残り、その角が伝わる。(本尊:千手観音/宗派:天台宗)
香川県高松市一宮町607
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涅槃の道場
次の札所まで:13.7km / 徒歩 3時間27分 / 車 33分
神毫山大宝院と号する。大宝年間に義淵僧正が法相宗の寺として建てたのが始まりと伝え、院号は年号による。和銅年間に讃岐一宮である田村神社の別当となり、一宮寺と改めたという。延宝七年に藩主松平頼常が田村神社を唯一神道に改めたため別当職を解かれ、神社から分かれた。(本尊:聖観音/宗派:真言宗御室派)
香川県高松市屋島東町1808番地
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涅槃の道場
次の札所まで:8.1km / 徒歩 2時間8分 / 車 20分
南面山千光院と号し、源平合戦で知られる屋島の南嶺にある。天平勝宝年間、唐から渡来した鑑真が屋島の沖で瑞光を感得し、北嶺に普賢堂を建てたのが開創と伝えられる。弘仁六年に空海が伽藍を南嶺へ移し、千手観音を彫って本尊としたという。本堂と本尊は国の重要文化財である。(本尊:千手観音/宗派:真言宗御室派)
香川県高松市牟礼町牟礼3416
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涅槃の道場
次の札所まで:6.5km / 徒歩 1時間30分 / 車 13分
五剣山観自在院と号し、五剣山の中腹にある。空海が求聞持法を修めたとき五振りの剣が天から降り、蔵王権現が仏教相応の霊地と告げたので、剣を山中に埋めて五剣山と名づけたと伝えられる。唐へ渡る前に埋めた八つの焼き栗が帰国後に芽吹いていたことが寺名の由来という。(本尊:聖観音/宗派:真言宗大覚寺派)
香川県さぬき市志度1102番地
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涅槃の道場
次の札所まで:7.1km / 徒歩 1時間39分 / 車 13分
補陀洛山と号し、志度湾に面する。推古年間に海人族の凡園子が霊木で十一面観音を刻み、精舎を建てたのが始まりと伝えられる。のちに藤原不比等が妻の墓を建てたといい、能の『海士』の舞台としても語り継がれる。本堂と仁王門は松平頼重の寄進によるもので、本尊とともに国の重要文化財である。(本尊:十一面観音)
香川県さぬき市長尾西653番地
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涅槃の道場
次の札所まで:15.2km / 徒歩 3時間51分 / 車 23分
観音院と号する。天平十一年、行基が道端の楊柳に霊夢を感じ、その木で聖観音を彫ったのが始まりと伝えられる。空海が入唐の成就を祈って修した年頭の護摩は、正月七日の大会陽として受け継がれている。境内には静御前の剃髪塚があり、経幢は国の重要文化財である。(本尊:聖観音/宗派:天台宗/通称:長尾の観音さん)
香川県さぬき市多和兼割96
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涅槃の道場
遍照光院と号し、八十八箇所を巡り終える結願の霊場である。養老年間に行基が草庵を建てたのが始まりと伝えられ、弘仁六年(八一五)に空海が薬師如来を彫って本尊とし、恵果から授かった錫杖を納めて大窪寺と名づけたという。遍路の金剛杖は寶杖堂に納められ供養される。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗)