西国三十三所

中部、近畿

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基本情報

エリア
中部、近畿
対象都道府県
岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県
系統
観音菩薩霊場
種別
本霊場
札所数
36札番
総距離
約970km
巡礼目安日数
10〜14日
難易度
中級
専用納経帳
有
御利益
心願成就、災難除け、病気平癒

説明

西国三十三所は、近畿二府四県と岐阜県にまたがる三十三か所の観音霊場を巡る巡礼である。日本最古の巡礼路とされ、養老二年(718年)に大和国長谷寺の徳道上人が閻魔大王から三十三の宝印を授かり、観音菩薩を祀る三十三か所の霊場を巡れば滅罪の功徳が得られると告げられたのが起こりと伝わる。当時は機が熟さず宝印は摂津国中山寺に納められたが、およそ二百七十年後に花山法皇がこれを取り出し、紀伊国那智山を起点として巡礼を再興したとされる。三十三の数は、観音菩薩が三十三の姿に変化して人々を救うという法華経普門品の教えに由来する。平安時代には修行僧が巡る道であったが、鎌倉時代以降は在俗の参詣者にも広がり、江戸時代には庶民の旅として大いに賑わった。この巡礼が各地に写されて坂東三十三観音・秩父三十四観音が成立し、三霊場を合わせた百観音を巡る信仰も生まれている。番外札所として法起院・元慶寺・花山院菩提寺の三か寺が加えられ、徳道上人と花山法皇ゆかりの寺として巡拝の対象となっている。平成三十一年(2019年)には日本遺産に認定された。

所属寺社・教会一覧

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和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山8番地

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次の札所まで:158km / 徒歩 36時間 / 車 2時間48分

那智の滝を望む熊野三山の一角。仁徳天皇の頃、天竺から渡来した裸形上人が滝壺で感得した金製の如意輪観音を安置したのが始まりと伝えられる。織田信長の兵火で焼けたのち、天正十八年(1590)に豊臣秀吉が本堂を再建した。桃山様式の本堂は重要文化財、元亨二年銘の宝篐印塔は日本最古級とされる。三重塔と那智の滝が重なる眺めは巡礼路随一。「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている。(本尊:如意輪観世音菩薩/宗派:天台宗)

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和歌山県和歌山市紀三井寺1201番地

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次の札所まで:27.7km / 徒歩 6時間25分 / 車 37分

宝亀元年(770)に唐僧為光上人が名草山で霊光を感得し、十一面観音を刻んで安置したのが始まりと伝えられる。後白河法皇の勅願所となり、紀州徳川家の祈禎道場として栄えた。本堂へ続く二百三十一段の石段は「結縁坂」と呼ばれる。楼門・多宝塔・鑾樓が重要文化財で、境内に湧く三井水は名水百選に選ばれた。和歌浦を見晴らす桜の名所であり、昭和二十六年に真言宗山階派から独立して救世観音宗の総本山となった。(本尊:十一面観世音菩薩/宗派:救世観音宗/通称:紀三井寺)

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和歌山県紀の川市粉河2787

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次の札所まで:30.8km / 徒歩 7時間48分 / 車 35分

宝亀元年(770)、猟師の大伴孔子古が光を放つ地に庵を結び、訪れた童行者が千手観音を刻んだのが始まりと伝えられる。鎌倉期に隆盛したが豊臣秀吉の紀州攻めで全山を焼失し、江戸中期以降に紀州徳川家の援助で再建された。享保五年(1720)再建の本堂は西国札所でも最大級。国宝の粉河寺縁起絵巻を伝え、紀州の名石を組んだ本堂前の庭園は国の名勝に指定されている。厄除観音として信仰を集める。(本尊:千手千眼観世音菩薩/宗派:粉河観音宗)

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大阪府和泉市槇尾山町136番地

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次の札所まで:27.2km / 徒歩 6時間10分 / 車 51分

欽明天皇の頃に行満上人が開いた勅願寺と伝えられ、空海が剃髪した地とも伝わって境内に愛染堂が残る。本堂は丈六の弥勒如来坐像を中心に、右脇侍として十一面千手千眼観世音菩薩、左脇侍に文殊菩薩を安置し、札所本尊はこの千手観音にあたる。織田信長の焼き討ちと弘化二年の山火事で伽藍を失い、幕末に再建された。駐車場から急な石段を三十分ほど登る、巡礼路屈指の難所として知られる。(本尊:弥勒如来/宗派:天台宗/通称:槇尾寺)

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大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16番21号

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次の札所まで:31.0km / 徒歩 7時間28分 / 車 52分

渡来系氏族の葛井氏の氏寺として白鳳期に建てられたとみられ、神亀二年(725)に聖武天皇の勅願で行基が開いたとも伝えられる。国宝の乾漆千手観音坐像は天平期の作で、実際に千四十三本の手を備える「真数千手」。大阪府下唯一の天平仏で、毎月十八日に開帳される。豊臣秀頼が寄進した西門は重要文化財。四月下旬からの藤の名所であり、寺名は地名の藤井寺の由来となった。(本尊:十一面千手千眼観世音菩薩/宗派:真言宗御室派)

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奈良県高市郡高取町大字壺阪3

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次の札所まで:8.5km / 徒歩 1時間58分 / 車 20分

大宝三年(703)、元興寺の僧弁基上人が愛用の水晶の壷を坂上の庵に納めたのが始まりと伝えられる。京都の清水寺を北法華寺と呼ぶのに対し南法華寺と称した。清少納言が『枕草子』で霊験の寺の筆頭に挙げている。明治期の浄瑠璃『壷坂霊験記』の舞台として知られ、「眼の佛」として眼病平癒の信仰を集める。室町再建の三重塔と礼堂が重要文化財。インドでの救済活動の縁から、高さ二十メートルの大観音石像など天竺渡来の石仏群が並ぶ。(本尊:十一面千手観世音菩薩/宗派:真言宗系単立/通称:壷阪寺)

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奈良県高市郡明日香村大字岡806

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次の札所まで:13.3km / 徒歩 3時間5分 / 車 28分

義淵僧正が草壁皇子の岡宮跡に開いたと伝えられ、史料の初見は天平十二年(740)。義淵が農地を荒らす龍を池に封じたという伝承から龍蓋寺の正式名を持ち、日本最初の厄除け霊場とされる。本尊の塑造如意輪観音坐像は像高約四.八五メートルで、塑像としては日本最大。重要文化財の仁王門、軒に琴を吊る珍しい意匠の三重宝塔、三千株のシャクナゲが見どころ。(本尊:如意輪観世音菩薩/宗派:真言宗豊山派)

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奈良県桜井市大字初瀬731番地の1

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次の札所まで:24.9km / 徒歩 5時間42分 / 車 50分

朱鳥元年(686)に道明上人が西の岡に法華説相図を安置し、神亀四年(727)に徳道上人が東の岡に十一面観音を祀ったと伝えられる。徳道上人は西国巡礼の開祖とされ、当寺は三十三所の根本霊場を称する。慶安三年(1650)徳川家光の寄進による本堂は国宝で、京都の清水寺と同じ懸造。三百九十九段の登廊、錫杖を持つ長谷寺式の本尊、百五十種七千株の牡丹で知られる。(本尊:十一面観世音菩薩/宗派:真言宗豊山派/通称:花の御寺)

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奈良県奈良市登大路町48番地

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次の札所まで:28.4km / 徒歩 6時間34分 / 車 1時間2分

和銅三年(710)の平城遷都に伴い藤原不比等が建てた藤原氏の氏寺。札所本尊は寺の本尊とは別で、弘仁四年(813)に藤原冬嗣が父の追善に建てた南円堂の不空绞索観音坐像にあたる。康慶一門の作で国宝、扉が開くのは十月十七日のみ。現在の南円堂は寛保元年(1741)再建の八角円堂で日本最大級。五重塔や阿修羅像など国宝を多数伝え、「古都奈良の文化財」として世界遺産に登録されている。(本尊:釈迦如来/宗派:法相宗)

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京都府宇治市菟道滋賀谷21番地

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次の札所まで:8.1km / 徒歩 1時間53分 / 車 22分

宝亀元年(770)、光仁天皇の勅願により大安寺の僧行表が開いたと伝えられ、創建当初は御室戸寺と称した。本尊の千手観音は厳重な秘仏で、平成二十一年に八十四年ぶりに開扉された。文化年間再建の本堂と三重塔が建ち、五千坪の庭園「与楽園」にはツツジ二万株、アジサイ一万株が植えられる。清凉寺式釈迦如来像の最古の遺品など、平安期の仏像を伝える。(本尊:千手観世音菩薩/宗派:本山修験宗/通称:あじさい寺)

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京都府京都市伏見区醍醐伽藍町1番地

075-571-0002

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次の札所まで:21.2km / 徒歩 5時間11分 / 車 39分

貞観十六年(874)、空海の孫弟子にあたる聖宝が開いた。札所本尊は寺の本尊とは別で、聖宝が醍醤水のほとりの霊木から刻んだと伝えられる上醍醤准胝堂の准胝観音にあたる。准胝堂は平成二十年に落雷で焼失して未再建のため、参拝と納経は下醍醤の観音堂で受け付ける。天暦五年(951)建立の五重塔は京都府下最古の木造建築。豊臣秀吉の「醍醤の花見」で知られ、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。(本尊:薬師如来/宗派:真言宗醍醤派)

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滋賀県大津市石山内畑町82番地

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次の札所まで:5.9km / 徒歩 1時間20分 / 車 12分

養老六年(722)、泰澄大師が元正天皇の大厄の病を癒した褒賞として建てた勅願寺と伝えられる。本尊は像高十五センチほどの金銅千手観音立像で、元正天皇の念持仏と伝わる秘仏。汗かき観音、雷除け観音、ぼけ封じ観音として信仰を集める。樹齢五百年を超える桂の大樹群があり、松尾芭蕉が参籠して「古池や」の句を詠んだ池とも伝えられる。平安中期の不動明王二童子立像は重要文化財。(本尊:千手観世音菩薩/宗派:真言宗醍醤派/通称:岩間寺)

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滋賀県大津市石山寺1丁目1番1号

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次の札所まで:8.7km / 徒歩 2時間2分 / 車 28分

天平十九年(747)、聖武天皇の勅願により良弁が開いたと伝えられ、奈良時代の造営は正倉院文書からも裏付けられる。寺名の由来である硅灰石の巨大な露岩は国の天然記念物。その岩上に建つ本堂は滋賀県下最古の木造建築で国宝、建久五年(1194)源頼朝寄進の多宝塔は建立年の明らかな多宝塔として日本最古とされる。平安期には貴族女性の石山詣が流行し、紫式部が参籠中に『源氏物語』の着想を得たと伝えられる。(本尊:如意輪観世音菩薩/宗派:東寺真言宗)

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滋賀県大津市園城寺町246

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次の札所まで:11.3km / 徒歩 2時間44分 / 車 31分

大友氏の氏寺として七世紀に建てられ、朱鳥元年(686)に天武天皇から「園城」の額を賜ったと伝えられる。九世紀に円珍が再興し、事実上の中興開山となった。札所本尊は寺の本尊とは別で、延久四年(1072)に創建された観音堂の如意輪観音坐像にあたる。延暦寺との抗争などで五十回以上被災しながら再興を重ね、慶長四年(1599)北政所の寄進で金堂が再建された。近江八景の三井の晩鐘と琵琶湖の眺望で知られる。(本尊:弥勒菩薩/宗派:天台寺門宗/通称:三井寺)

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京都府京都市東山区泉涌寺山内町32番地

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次の札所まで:2.6km / 徒歩 37分 / 車 20分

大同二年(807)に空海が開いたと伝えられる泉涌寺の塔頭。熊野権現の化身とされる老翁から授かった一寸八分の観音像を、自ら刻んだ十一面観音の体内に納めたと伝わる。永暦元年(1160)後白河上皇が新熊野神社を造営した際に「新那智山」の山号を授け、上皇の頭痛が本尊の霊験で癒えたという伝承から「頭痛封じの観音」として信仰される。正徳二年(1712)再建の本堂、朱塗りの鳥居橋、昭和建立の医聖堂が見どころ。(本尊:十一面観世音菩薩/宗派:真言宗泉涌寺派/通称:今熊野観音寺)

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京都府京都市東山区清水1丁目294番地

075-551-1234

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次の札所まで:0.7km / 徒歩 9分 / 車 12分

宝亀九年(778)、賢心が霊夢に導かれ音羽山に草庵を結んだのが始まりと伝えられ、坂上田村麻呂が堂宇を寄進したと伝わる。寺名は音羽の滝の清らかさに由来する。寛永十年(1633)徳川家光の寄進で再建された本堂は国宝で、百三十九本のケヤキ柱が「清水の舞台」を支える。仁王門や三重塔など十五棟が重要文化財。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。(本尊:十一面千手観世音菩薩/宗派:北法相宗)

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京都府京都市東山区松原通大和大路東入二丁目轆轤町81番地の1

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次の札所まで:2.3km / 徒歩 32分 / 車 11分

天暦五年(951)、空也上人が都の疫病退散を願って十一面観音を刻み、車に安置して市中を曳いたのが始まりと伝えられる。当初は西光寺と称し、貞元二年(977)に現在の寺号となった。平安末期には一帯が平家の邸館群「六波羅」の中心となり、都落ちの際に炎上した。国宝の本尊のほか、口から六体の阿弥陀が現れる康勝作の空也上人立像、伝平清盛坐像などを伝え、令和四年開館の令和館で公開している。(本尊:十一面観世音菩薩/宗派:真言宗智山派)

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京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248番地

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次の札所まで:1.6km / 徒歩 23分 / 車 9分

用明天皇二年(587)に聖徳太子が建てたと伝えられるが、発掘調査では十世紀後半の創建とみられる。本堂が六角形であることから六角堂と呼ばれ、京都の中心とされる「へそ石」がある。建仁元年(1201)に親鸞が百日参籠し、聖徳太子の示現を受けたと伝えられる。住持の坊が池のほとりにあったことから池坊と呼ばれ、いけばな発祥の地とされる。現在も華道家元池坊が住職を務める。本堂・拝堂・鑾樓は京都市指定文化財。(本尊:如意輪観世音菩薩/宗派:天台宗系単立/通称:六角堂)

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京都府京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17番地

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次の札所まで:17.5km / 徒歩 4時間20分 / 車 48分

寛弘元年(1004)、行円上人が一条北辺堂を復興して開いた。行円が常に鹿皮の衣をまとい「皮聖」と呼ばれたことが革堂の名の由来と伝えられる。度重なる焼失と豊臣秀吉の京都改造による移転を経て、宝永の大火後に現在地へ移った。文化十二年(1815)建立の本堂と鑾樓は京都市指定文化財。都七福神の寿老神を祀り、江戸期の伝承にちなむ幽霊絵馬を毎年八月に公開する。西国札所で唯一の尼寺として知られる。(本尊:千手観世音菩薩/宗派:天台宗/通称:革堂)

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京都府京都市西京区大原野小塩町1372番地

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次の札所まで:16.3km / 徒歩 3時間54分 / 車 31分

長元二年(1029)、恵心僧都の弟子である源算上人が入山し、自ら刻んだ千手観音を祀ったのが始まりと伝えられる。後一条天皇の勅願所となり、建久三年(1192)に現在の寺号へ改めた。応仁の乱で大半を失ったが、徳川綱吉の生母桂昌院を大檀那として復興した。全長約三十七メートル、樹齢六百年を超える国の天然記念物「遊龍の松」と、元和七年(1621)再建で重要文化財の多宝塔が名高い。山腹から京都市街を一望する。(本尊:十一面千手観世音菩薩/宗派:単立)

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京都府亀岡市曽我部町穴太東ノ辻46番地

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次の札所まで:27.9km / 徒歩 6時間40分 / 車 45分

慶雲二年(705)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開いたと伝えられる。札所本尊は寺の本尊とは別で、本堂厨子内の聖観世音菩薩にあたる。仏師の身代わりに観音が矢を受けたという応和二年の説話が『今昔物語集』に載り、平安末期には観音霊場として知られていたことがうかがえる。布団を掛けて撫でる木造釈迦涅槃像は、全国でも数少ない木彫の涅槃像。文化元年(1804)の多宝塔と本堂を借景とする方丈庭園は京都府指定の名勝。(本尊:薬師如来/宗派:天台宗)

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大阪府茨木市総持寺1丁目6番1号

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次の札所まで:13.0km / 徒歩 3時間17分 / 車 33分

寛平二年(890)、中納言藤原山蔭が父の遺志を継いで伽藍を落慶した。父が助けた大亀が川に落ちた山蔭を背に乗せて救ったという報恩の伝承にちなみ、本尊の千手観音は亀の背に立つ姿をとる。山蔭は四条流廖丁道の祖とされ、毎年四月十八日に包丁式が営まれる。織田信長の兵火の後、慶長八年(1603)に豊臣秀頼により本堂が再建された。本堂以下九棟の近世伽藍が茛木市指定文化財としてまとまって残る。(本尊:千手観世音菩薩/宗派:高野山真言宗)

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大阪府箕面市大字粟生間谷2914番地の1

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次の札所まで:16.4km / 徒歩 3時間46分 / 車 42分

神亀四年(727)に善仲・善算の兄弟が草庵を結び、光仁天皇の皇子開成が堂を建てて弥勒寺と称したのが始まりと伝えられる。元慶四年(880)、座主行巡が清和天皇の病気平癒を祈って効験を示し「勝王寺」の号を賜ったが、畏れ多いとして勝尾寺と改めたと伝わる。以来「勝運の寺」として信仰され、境内一面に勝ちダルマが奉納される。平安初期の木造薬師三尊像は重要文化財、日本最古とされる町石を含む旧境内は国史跡。(本尊:十一面千手観世音菩薩/宗派:高野山真言宗)

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兵庫県宝塚市中山寺2丁目11-1

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次の札所まで:42.3km / 徒歩 10時間11分 / 車 57分

推古天皇の頃に聖徳太子が建てたと伝えられる。徳道上人が観音霊場の宝印を境内の古墳に納め、のちに花山法皇がこれを掘り出して巡礼を再興したと伝わる。多田行綱の妻の故事から安産祈願の信仰が起こり、明治天皇を出産した中山一位局の祈願を機に「日本第一の安産の霊場」として広まった。慶長八年(1603)豊臣秀頼再建の本堂と、平成二十九年再建の青い五重塔「青龍塔」が並ぶ。参道はエスカレーターを備える。(本尊:十一面観世音菩薩/宗派:真言宗中山寺派/通称:中山観音)

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兵庫県加東市平木1194番地

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次の札所まで:36.1km / 徒歩 8時間10分 / 車 1時間5分

インドから渡来したとされる法道仙人が住したのが起源と伝えられ、推古天皇の勅願で根本中堂が、聖武天皇の勅願で行基により大講堂が建てられたと伝わる。札所本尊は寺の本尊とは別で、大講堂に安置される千手観世音菩薩にあたる。法道仙人が祈って霊泉が湧いたことが寺名の由来とされ、境内の「おかげの井戸」に伝説を残す。大正二年の火災後に再建された伽藍は国の登録有形文化財。標高約五百メートルの山上から瀬戸内海を望む。(本尊:十一面観世音菩薩/宗派:天台宗/通称:播州清水寺)

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兵庫県加西市坂本町821-17

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次の札所まで:19.7km / 徒歩 4時間46分 / 車 35分

白雉元年(650)、孝徳天皇の勅願によりインドから渡来したとされる法道仙人が開いたと伝えられる。承安元年(1171)銘を持つ三重塔は国宝で、平安後期の建築として建立年が判明する稀少な例。山の斜面を石段で登り、懸造の本堂から塔を見下ろす独特の伽藍配置をとる。鎌倉期には叡尊を招き、真言律宗の拠点の一つとなった。平安時代の絹本著色聖徳太子及天台高僧像十幅も国宝。(本尊:聖観世音菩薩/宗派:天台宗)

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兵庫県姫路市書写2968番地

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次の札所まで:120km / 徒歩 28時間 / 車 2時間12分

康保三年(966)、性空上人が開いた。寛和二年(986)に花山法皇が来山して「圇教寺」の勅号を授けたと伝えられ、天台の大道場として「西の比叡山」と称された。崖にせり出す懸造の摩尼殿と、大講堂・食堂・常行堂がコの字に並ぶ「三之堂」が中世寺院の景観をよく伝え、いずれも重要文化財を含む。天正六年(1578)には羽柴秀吉が播磨攻めの陣を置いた。境内は国の史跡に指定されている。(本尊:如意輪観世音菩薩/宗派:天台宗/通称:西の比叡山)

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京都府宮津市字成相寺339番地

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次の札所まで:48.7km / 徒歩 11時間17分 / 車 1時間14分

慶雲元年(704)、文武天皇の勅願寺として真応上人が開いたと伝えられる。雪に閉ざされ飢えた上人の前に現れた鹿の肉が、実は本尊の腿の木片だったという身代わり観音の伝承を持ち、「願う所必ず成り合う」ことが寺名の由来とされる。応永七年(1400)の山崩れで現在地へ移った。安永三年(1774)再建の本堂には左甚五郎作と伝わる「真向の龍」の彫刻がある。天橋立を斜め一文字に見下ろす眺望で知られる。(本尊:聖観世音菩薩/宗派:橋立真言宗)

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京都府舞鶴市字松尾532番地

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次の札所まで:70.5km / 徒歩 14時間36分 / 車 2時間23分

和銅元年(708)、唐から渡来した威光上人が青葉山の松の大樹の下で馬頭観音を感得し、草庵を結んだのが始まりと伝えられる。西国札所で唯一、馬頭観音を本尊とし、馬や農耕、交通安全の守り仏として信仰される。元永二年(1119)に鳥羽天皇の行幸を受けて栄えたと伝わり、美福門院の念持仏と伝わる絹本著色普賢延命像は国宝。享保十五年(1730)建立の本堂は京都府指定文化財で、毎年五月八日の仏舞は重要無形民俗文化財。(本尊:馬頭観世音菩薩/宗派:真言宗醍醤派)

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滋賀県長浜市早崎町1664番地

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次の札所まで:44.7km / 徒歩 7時間46分 / 車 2時間16分

神亀元年(724)、聖武天皇の夢告により行基が琵琶湖に浮かぶ竹生島に開いたと伝えられる。江島・厳島と並ぶ日本三弁才天の一つで、寺の本尊は本堂の大弁才天。札所本尊はこれとは別で、観音堂に安置される六十年に一度開帳の千手千眼観世音菩薩にあたる。明治の神仏分離で旧本堂が都久夫須麻神社本殿となり、観音堂が札所として残った。豊臣期の大坂城の遺構とされる国宝の唐門と、秀吉の御座船の用材を転用したと伝わる舟廊下が見どころ。(本尊:大弁才天/宗派:真言宗豊山派/通称:竹生島)

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滋賀県近江八幡市長命寺町157

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次の札所まで:15.7km / 徒歩 3時間46分 / 車 28分

武内宿禰が柳の大木に長寿を祈り、のちに聖徳太子がその霊木で三尊を刻んだと伝えられ、宿禰の長寿にちなんで長命寺と号したとされる。史料上の初見は承保元年(1074)。琵琶湖岸から八百八段の石段を登った山腹に境内が開け、大永四年(1524)再建の本堂と慶長二年(1597)再建の三重塔が並び、いずれも重要文化財。境内には磐座信仰の名残りとされる巨石が点在する。(本尊:千手十一面聖観世音菩薩/宗派:天台宗系単立)

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滋賀県近江八幡市安土町石寺2番地

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次の札所まで:71.9km / 徒歩 16時間30分 / 車 1時間34分

推古天皇十三年(605)に聖徳太子が開いたと伝えられ、遅くとも平安時代には存在した。鎌倉期以降は佐々木六角氏の居城である観音寺城の庭護で栄えたが、永禄十一年(1568)の観音寺城の戦いで荒廃した。平成五年の火災で重要文化財の旧本尊を失い、平成十六年に白檀を用いた像高三.五六メートルの新本尊と本堂が完成した。奥の院の巨岩には平安後期の磨崖仏が刻まれ、繖山の山中から近江平野を望む。(本尊:千手千眼観世音菩薩/宗派:天台宗系単立)

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岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23番地

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次の札所まで:277km / 徒歩 63時間 / 車 4時間10分

延暦十七年(798)、奥州の郡司大口大領が造らせた十一面観音を、当地の僧豊然上人の協力を得て祀ったのが始まりと伝えられる。谷の岩穴から湧いた油を汲んで燈明としたことが「谷汲」の由来と伝わる。近畿以外で唯一の西国札所であり、満願・結願の寺として知られる。本堂の背後に巡礼者が笈摺を納める笈摺堂や満願堂が続き、向拝の柱には「精進落としの鯉」がかかる。仁王門へ続く約一キロの桜並木と紅葉が名高い。(本尊:十一面観世音菩薩/宗派:天台宗/通称:谷汲山)

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京都府京都市山科区北花山河原町49番地

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貞観十年(868)、藤原高子の発願により六歌仙の一人である僧正遍昭が開き、元慶元年(877)に陽成天皇の勅願寺となって元慶寺と改めた。寛和二年(986)、藤原兼家・道兼父子の策により花山天皇が当寺で剃髪して法皇となった。この出家は史書に記録された史実で、のちに法皇が巡礼を再興したという縁起から番外札所とされる。応仁の乱で焼失し、現在の堂宇は安永年間の再建と伝わる。竜宮造りの鑾樓門が目を引く。(本尊:薬師瑠璃光如来/宗派:天台宗)

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奈良県桜井市大字初瀬776番地

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天平七年(735)、長谷寺を開いた徳道上人が隠棲の地として開いたと伝えられる長谷寺の塔頭。上人が晚年に境内の松に登り法起菩薩となって遷化したという伝承が院号の由来とされる。上人は閻魔大王から三十三の宝印を授かり観音霊場を定めたと伝えられ、西国巡礼の開祖として本尊に祀られる。本堂は長谷寺の本尊に対面する北向きに建ち、境内には上人の御廟と伝わる十三重石塔や「上人靴脱ぎ石」がある。(本尊:徳道上人/宗派:真言宗豊山派/通称:長谷寺開山堂)

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兵庫県三田市尼寺352番地

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白雉二年(651)、法道仙人が開いたと伝えられる。寛和二年に出家した花山法皇が巡礼を終えたのち、播州平野と有馬富士を望むこの地に惹かれて隠棲し、十四年を過ごしたと伝えられ、これが番外札所とされる由縁。札所本尊は寺の本尊とは別で、本堂の花山法皇殿に安置される十一面観世音菩薩にあたる。法皇を慕って京から下った女御と女官の墓と伝わる十二妃の墓が麓に残り、地名の尼寺の由来となった。(本尊:薬師瑠璃光如来/宗派:真言宗花山院派/通称:花山院)